本にまつわる思い出

私は本に囲まれた静かな空間が好きである。あえて読書好きとは言わない。好きなジャンルの本しか読まないので、読書好きではないと思っている。しかし、子育てをしながら自分の半生を振り返ると、思いのほか図書館及び書店に通っていたなと思う。

まずは、幼少期の本の思い出である。3歳の頃大好きな祖父と手を繋いで近所の本屋に行き、絵本を買ってもらった。母に寝る前に絵本を1冊ずつ読んでもらった。保育園に入ると壁一面の巨大な(に思えた)本棚から、お気に入りの一冊を見つけ、こっそり宝物のように読んだ。これらの経験は明らかに私の人格形成に影響を与えていると思う。

小学校以降になると、より本にまつわる思い出が増えてくる。父と大型の本やに弟と一緒にいき、好きな漫画を買い併設のカフェでジュースを飲んだ。両親はたびたび図書館に連れて行ってくれた。県立図書館で絵本を選び、自分の図書カードを作ってもらったのが嬉しかった。自転車に乗れるようになると、週末には1人で図書館に行った。図書館に1人でいき、お気に入りの本を見つけるのは背伸びした大人の気分だった。

小学校でも中学高校でも図書室にはしばしば通った。自由に入れるシステムではなかったように思うが、1人で静かに過ごしたい気分の休憩時間に、特に目的なく本棚を眺めて歩くのが好きだった。

大学受験および大学の試験に関しては図書館を愛用した。図書館の自習室で勉強するのが1番捗った。気分転換に最新の学術雑誌が陳列されている棚を眺め、私も将来ここに自分の名前で論文を載せたいとぼんやり思ったのを覚えている。

初めて地元を出て、ストレスも多かった研修医時代、夜遅くまで営業しているスタバ併設の書店で一息ついていた。

意識はしていなかったが、本に囲まれた空間が私は好きだったのだ。これに気づいたのは娘を産んでからである。まず、妊娠中に私は文章が読めなくなった。あれはなんなのだろう。集中力が低下し、本を読む気がしないし、実際に頭に入ってこない。産後は寝不足も相まってますます、本が読めなくなった。娘を置いてわざわざ書店に出かけることもしないし、できない。

産後1年が経過し、娘を両親にあずけ、中学時代よりよくいっていた大型書店にいき、ぶらぶらと本を眺め気の向くままに本を選び、併設のカフェで本を開いた時に気づいた。ああ、なんて落ち着くんだろうと。この空気、本の匂い、知の空間の自由さ。

身の回りの整理のため、最近は論文をiPad で読んでいる。書籍も可能な限りKindleで買い、隙間時間に読めるようにしている。しかし、私は本に囲まれた空間でふらふらと過ごすことが好きだったのだ。本屋及び図書館は知の結晶であるし、それを求めている人を柔らかく受け止めてくれている気がする。

最近、ある事情でフィンランドに行った。フィンランド国立図書館は最高に素敵な場所だった。近代的かつ機能的で清潔な建物に、さまざまな種類のソファやチェアが配置され、好きな場所でくつろぎながら本を片手に過ごす。カフェもあるしテラスもある。ゲームや3Dプリンターなんかもあるらしい。子供たちは絵本を初め、ボードゲーム、知育玩具などで遊べる。ヘルシンキに住んでいたら毎週末通うだろう。

今の家の近くに、こういった大型書店や図書館がないのが残念だ。福岡市は大きな なので、週末は図書館は混み合っている。娘を連れていきたいのだが、まだ静かにしていられないので、最速で本を選び逃げ去るように帰る。

私の気力の充電にはどうやら、1人で静かにこういった場所で過ごすことが必要らしい。近年、書店は閉店ラッシュだが、時間を確保してお気に入りの場所を福岡市で見つけたい。

#女性研究者 #ヘルシンキ 

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