最近、岡本太郎さんが気になって仕方ない。
私が初めて彼の作品を見たのは、幼い頃両親に連れられて、地元の美術館でやっていた岡本太郎特別展に行った時だ。幼心に強烈な印象を抱いたことを覚えている。「座ることを拒否する椅子」という作品名とまさに座ることを拒絶するその椅子らしきオブジェの眼差しが忘れられなかった。
最近何気なく、Kindleで岡本太郎さんの「自分の中に毒をもて」と言う著書を読んだ。
強烈だった。
Kindleで惹かれるフレーズにハイライトをすると、気づけば真っ赤だ。
そんなおり、岡本太郎さんのアトリエを美術館にした、岡本太郎記念館に行く機会を得た。私はその時、日々の業務に疲れ果てた上に、研究に関わる悪い結果がいくつも届き凹んでいた。岡本太郎さんに触れれば、何か変わるかもしれない。そんな予感で美術館を訪れた。旧アトリエであるその場所は、青山の路地にひっそりと、しかし強烈なエネルギーが閉じ込められているようだった。
1階のアトリエはまさに太郎さんの息遣いが、筆捌きが感じられた。
2階に上がり、囲むように太郎氏の絵に囲まれた赤い部屋で息を飲んだ。そして1枚の絵に釘付けになった。
写真では伝わらないが、祭りとひっそりと題されたその絵はまさに湧き上がるエネルギーに満ちていた。
“僕が絵を描くようになったのは、自由になれるから。“
岡本太郎 自分の運命に盾をつけ
私が研究が好きと感じるのは、自由になれるからだとわかった。
研究は、過去に積み上げられた文脈の上に新しい何かを積み上げようとする試みだと思う。何を積み上げるかは自由だし、どのように積み上げるかも自由だ。
そんなものを積み上げても意味がない、とか積み上げ方が悪いとか評価のされ方は色々ある。積み上げ方の派閥もある。しかし、積み上げること、試みは自由なのだ。私はそれがとても心地よかった。そして私が積み上げることで、世で困っている人、後世に続く人たちが少しでも目的地に到達しやすくなれば、嬉しい。
“下手ならなおお結構”
“行き詰まった方が面白い。だから、それを突破してやろうと挑むんだ。”
太郎氏に語りかけられているようだった。いいじゃないか、行き詰まった方が、なお面白うじゃないかと。
私は正気を取り戻した。そうだ、挑もう。その方が面白い。
#岡本太郎 #女性研究者